Bohemian’s Blog

BohemianS による、あれやこれやの雑記ブログ

半年足らずで仕事を辞めた男の末路

f:id:bohemians:20191007011651p:plain

どうも、あんさんです。

現在、相棒のなかひまと共にシェアハウスでゆらゆらした生活をしていますが、こんな私でも、しっかりと社会人だったことがあります。

しかし、それも半年と続きませんでした。

そんな男の末路を、ここで語っていきたいと思います。

ちなみに、ここからの話は別記事とかぶるところもあるので、ソイツを載せときます。

 

www.boheeeemians.com

 

よかったら、読んでやって下さい。

【上】

f:id:bohemians:20191008004534p:plain

就活時のことから軽く話していきたいと思います。

就活は、私にとってまったくの負け戦でした。敗因は志望業界を絞り切れていなかったからでしょう。

とりあえず、どこにでも通用するような志望理由を書いて、どこにでも通用するようなエントリーシートを書いておけば、一応は書類は通ります。しかし、そのあとが通りません。

そんなこんなで、就職先が決まっていく周りの友人たちに置いてけぼりにされた私は焦りました。そして志望業種を、人材不足に喘ぐ介護サービス業界へと的を絞ったのです。

何事も、焦りは禁物です。面白いぐあいに採用されるわけですが、その後がまぁ地獄でした。

【中】

f:id:bohemians:20191008010426p:plain

夜間業務を嫌い、私はデイサービスで働くことになりました。 

以外にも、お客様(サービスを受ける方々)との関係は良好でした。お客様へのケアそのものは、苦ではなかったのです。

しかし、9:00~17:00の就労時間のはずが、送迎が始まるのは早いときで8:00過ぎ。そして送迎が終わるのが17:00を必ず過ぎてしまいます。

そのあと、ミーティングがあり、お客様の体調変化や対応の改善などを話し合い、毎週行うイベントの進捗状況の確認をしていると、18:00を過ぎてしまいます。

加えて、施設内の掃除、お客様のために開かれるイベントの企画・準備や、終了したイベントを本部へ報告するなどの事務作業に時間が割かれ、確実に残業しないといけない状況でした。

しかし、そこは残業を許さない社風でした。送迎が終わったら、職員はみなタイムカードをきった上での業務を強制されました。

私以外の職員はみな、だまって文句も言わず、何物にも代えがたい己の時間を、タダで提供し続けていました。私はその状況の気味悪さに、震えがとまりませんでした。

やがて、同期の女性職員が心労で倒れ、先輩職員の一人がミーティング前にパニックに陥り、適応障害を診断されて休職に追い込まれたとき、私は確信しました。

次は俺だ。

このままでは自分も同じ目にあってしまう。そうした恐怖に私は逃げるしかなく、退職を決意したのです。

【下】

f:id:bohemians:20191008012245p:plain

 

退職した結果、今まで会社の為に費やしてきた時間が全て自分のもとへと帰ってきたような気がしました。

なんという多幸感。このまますべてが上手くいくものだとしか考えられませんでした。私は、祖母の家の二階を借りて、小説を書いたり、ブログを書いたり、自らの夢への歩みをスタートさせたのです。

しかし、いっぺんに戻ったありあまる時間を使い切ることはできず、私の日々は堕落していきました。

夜中3:00ぐらいまで起きて、目が覚めるともう13:00過ぎ。まともに動き出すまで2時間ほどかかり、ようやくベッドから出て、顔を洗って時計を見ると、夕方近くになっています。

私は畳の上にあぐらをかいて、新たな恐怖と直面することになりました。

このままでは、この畳と俺の体が同化してしまう。

小説も書けず、ブログも書けず、時間を無為にし続ける私は、なんとか生活にリズムを戻そうとアルバイトをはじめました。

そのおかげで、手取り20万以上(残業代含む)から14万ちょっとに落ちました。

まえがきが無いのに、あとがき

収入以外で変わったことはといえば、特にありません。

仕事を辞めるなんてそんなものです。大したニュースではありません。

それどころか、辞めるべき仕事を命を削って続ける方が大ニュースです。

好きなアウトドアの仕事が出来ていますし、作家への道も見失わず、こうしてブログもまた始めることができています。

あのときの強い幸福はありませんが、今、私はそこそこに幸せなのです。